水の丘交通公園

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東京高速鉄道 100形電車

2010-10-04 23:39:49 | 保存車・博物館
現在の東京メトロ銀座線の渋谷~新橋(幻の新橋駅)間を開通させた東京高速鉄道が
開業用に製造した車両である。
昭和12年に30両が製造された。製造メーカーは川崎車輛である。

車体は普通鋼鉄製で基本的な寸法などは、東京地下鉄道の1000形電車を
ベースとしている。
デザイン面では東京地下鉄道のゴツゴツした直線的なものと一線を画した
曲面を多用したものとなった。
これは東京高速鉄道の親会社であった東京横浜電鉄(現在の東急)の同時期に導入を
進めていた電車とよく似たものである。
正面は貫通型で連結器上部の短いアンチクライマー、少し屋根に埋まったライトと、
その両脇のベンチレーターが特徴となっている。
塗装は登場時が上半分がクリーム、下半分がグリーン、屋根がグレーであった。
後にクリームの部分がイエローになり、戦中には屋根がブラウン系になり、
最終的に東京地下鉄道の車両共々、屋根周りがブラウン、その他がオレンジというものに
なった。
行き先表示は札を貫通扉と側面上部に掲示するものであったが、末期は簡易行き先表示幕を
設置した。

車内はオールロングシートで当時の関東の私鉄(特に東横、帝都、京浜で見られた)では
標準的に採用されていた運転席をボックス状にし、客席を最前部まで設置したものを
採用している。
このため、車掌は客室にあるドアスイッチにてドアの開閉を行っていた(「他の戸」と
「此の戸」とかかれたスイッチがあり、発車時は「他の戸」を先ず閉めて、安全確認後、
自分のいる場所のドアである「此の戸」を閉める)。
なお、ドアは片側3ドア・片引き戸である。
天井灯はグローブ付の白熱灯で先頭部分はベンチレーターがあるため、この部分だけ
屋根が低い。
側面窓は上段下降・下段固定の2段窓である。
この他、東京地下鉄道で特徴的だったリコ式吊手は採用されず通常の吊革だった他、
床もリノリウムではなく板張りであった。

主制御装置は抵抗制御、ブレーキは発電ブレーキ付空気自動直通ブレーキであった。
発電ブレーキは、当時まだ珍しく、東京地下鉄道の車両には装備されていなかった。
このため、営団になった後も戦後の車体更新までは東京地下鉄道側の車両と
併結できなかった。
台車は金属バネ台車、駆動方式は吊り掛け式である。
本形式は1基75kwのモーターを前後の台車に2つずつ=4つの車軸全てに搭載しており、
1基90kwのモーターを前後の台車に1つずつ=2つ搭載の東京地下鉄道の車両よりも
出力で優れていた。
このため、直通運転開始直後はスピードに優れる本形式が足の遅い東京地下鉄道の車両を
追い掛け回す光景が見られたという。
運転台は当時標準のツーハンドル式であるが、マスコンが固く重たく扱いづらかった
様である。
特に戦時中、徴兵で不足した男子運転士を補うため、女性運転士が採用されたが、
彼女たちが本形式を扱うのは苦労が伴い、なかなかマスコンが回らず、
どうにか動かして発車すると見守っていた乗客から拍手を受けるというエピソードも
残っている。

東京高速鉄道と東京地下鉄道が国により合併し、半官半民の帝都高速度交通営団発足後も
形式番号の変更はなく、そのまま使用された。
ただし、既述の理由から東京地下鉄道の車両との連結は行われておらず、
運用は分かれたままだった。

昭和20年代後半~30年代前半にかけて壁面への首振り扇風機設置、前部ベンチレーターの
車内側通風口埋め込み、発電ブレーキの使用停止と東京地下鉄道及び営団が製造した
車両との併結対応化、床板のリノリウム化、吊革のリコ式化、貫通扉への簡易幌設置、
運転室への簡易方向幕設置などの更新改造を行っている。

昭和37年には荻窪線(現在の丸ノ内線の新宿~荻窪間と方南町支線)支線の開通に伴い、
101号~110号が同線専用車となり、塗装をレッドに白帯という丸ノ内線の電車に
準じた塗装に改めた他、丸ノ内線は銀座線よりも車体規格が大きくホームと車両の
隙間を少なくするためのドアステップを設置している。

銀座線では昭和23年の1300形導入以降、新車を断続的に増備しており、片隅運転台の
旧東京地下鉄道車や本形式は徐々に先頭に立たなくなっていった。
昭和43年に2000形の中間車である1500N1形電車が製造されると、これと置き換えられて
引退した。
方南町支線の10両も同年に2000形に置き換えられて引退している。

引退後、118号と129号は解体処分を免れて、中野工場の入換車として昭和56年まで
車籍を有して使用されていた。
その後、118号は解体されたが、129号はしばらく保管された後、行徳検車区に搬送され、
車体の先頭から1/3にカット、内外装を登場時のものに復元する工事を行い、
地下鉄博物館に収蔵された。
地下鉄博物館では車両の構造を学習するための教材となっており、ドアが操作できる
(ドアエンジンを見せるため、一部の座席が撤去されている)他、同車のマスコンや
ブレーキを操作すると、前に設置されている台車(1800形電車のもの)の
モーターや制御器、ブレーキが動作する。


○100形車内。車内の通風を良くするため、天井にベンチレーターが設けられている。
 左が運転室で車掌は客室に乗務した。
 ドア操作は当然客室で行うわけだが、混雑時に車内を左右に移動するのに手間取ることも
 よくあり、時には客に扱ってもらったこともあったそうである。
 運転室の壁に貼られているのは昭和16年ごろの路線図で既に丸ノ内線赤坂見附~新宿間が
 未成線として描かれている。

○運転室。窓枠についている四角いものは手元を照らすための照明。
 ちなみに重く固い本形式のマスコンであるが、ここでは子供たちが扱えるよう、
 だいぶ軽くなっている。
 ちなみに副都心線10000系で復活したことが記憶に新しい、警笛の「トロン笛」も
 鳴らすことが可能である。


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